「情報の文明学」と水2L6本セット348円のチラシ

bottled waterRaul Pacheco-Vega

※記事で出てくるミネラルウォーターとは全く関係がありません。

 

先日、梅棹忠夫さんの「情報の文明学」という本を読んだのですが、文庫本ながらなかなか骨のある内容でした。ちなみに、新刊本ではなく1999年に発行された本ですが、1962年に書かれた論文が元となっており、古典に近い書籍。しかし、内容は今でも新鮮味が感じられるものでした。

 

熟読ではなく拾い読みをしたに過ぎないですが、私なりにまとめると、次のようになります。

 

【情報の文明学私的まとめ】

  1. 味覚という感覚情報は、食物という物質的媒体に乗せて伝達される。
  2. 衣類も、消費者は、その布地のうちに乗せられた色彩・模様・デザインなどの感覚情報を買っている。
  3. レジャー・レクリエーションは、体験情報の獲得である。
  4. 一坪農園は、利用者にとって作物が問題なのではない。擬似農業を行うことによって、植物を育てる喜びを味わい、収穫の喜びを味わうのである。
  5. 情報は、しばしば提供する側が金を出す。
  6. 情報産業では、期待に対して金を払い、期待が裏切られることもありえる。
  7. 脳・神経系が働きはじめると、情報の需要だけでは満足できなくなり、自ら表現したがるようになる。自らの表現は、仲間への伝達が可能かどうかが問題なのではない。自分自身の道標であり、自分自身の存在証明である。
  8. 人類文明史とは、あらゆる営みを「あそび」に転換さえる努力の過程であった。
  9. 農業から工業、工業から情報産業に進化しているが、進化後に無くなることはない。進化後の産業の要素を取り入れて、それ自体進化する。したがって、あらゆる産業において、情報の価値が高くなっている。

 

この内容を1960年代から指摘してきたことには、本当に驚きです。梅棹先生の予想する通りに、各産業において情報の価値が高くなっていることは、日々の生活においても実感するばかり。

 

例えば、コンビニコーヒーは、その利便性という情報を買っていると言えるのではないでしょうか。その情報の価値が100円以上だから、ヒット商品になったのでしょう。逆に、一杯420円もするコーヒーを提供するコメダ珈琲が人気なのは、ゆっくりできる空間であり雰囲気という情報に価値があるからではないでしょうか。この比較では、両者が提供する情報の価値が全く異なるので、同じコーヒーというモノを提供するものの、競合しないということになります。

 

逆に、情報を付加しない・できないモノの価値は、どんどん下がることになります。例えば、先日折り込まれていたホームセンターのチラシ。このチラシでは、従来398円で販売されていた2Lのミネラルウォーター6本入り1ケースが、348円に値下げされていました。値下げされていたのは、単に売れなかったというよりも、価値のある情報を付加できなかったと考えることはできないでしょうか。

 

もちろん、どんな情報でも付加すればいいというものではありません。その情報に価値が無ければ、消費者はその情報にお金を支払いません。「情報の文明学」を読んで、単にモノを店頭に置いただけでは売れないということを、改めて認識しました。

 

まぁ、当たり前と言えば、当たり前かもしれませんが。

 

 

☆今日のまとめ☆

「情報の文明学」によると、各産業における情報の価値が高まっている。

消費者は、その価値ある情報にお金を支払っているのではないか。

逆に、価値ある情報を付加できなければ、その価格は下落し続けることになるのではないか。

 

アメリカビジネスの最新事情メルマガはこちら

ワインを知れば、おもしろい

WSJを読むには、基本的な英単語を知っていなければなりません

日々気づいた雑感はTwitterで発信中

すいません、Facebookはほぼ引退しました

年5%で資産運用する方法はこちら

 

 

  • 今日のこぼれ話☆

これまでミネラルウォーターを買っていたのですが、今後買うのをやめようかと思います。

というのも、その保管スペースが本当に勿体無い。

最近、過去1年間使わなかったものを、どんどん捨てています。

勇気のいることですが。(なぜだ?)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です